紅茶の時間



★ 大学一年生・晩秋 【時計棟屋上】pm.3:36


 その日、私は朝から不機嫌だった。
 かろうじて他人に当たることはしていなかったが、友人が話しかけるのをためらうくらいにはそれが明らかだったはずだ。ほとんど口を開かなかったし、話をふられても生返事、必要以上のことはしゃべらない。
 抑えられないくらい不機嫌だと、私はいつも黙り込む。黙り込んでいないと何を口走ってしまうかわからないから。しゃべらなければ、とりあえずは言葉で人を傷つけてしまうことはない。
 高校のときはそれでも愛想笑いくらいはいつもの巨大な猫がかぶせてくれていたけれど、それを置いてきてしまった今では愛想笑いも浮かんでこない。
 そんな不機嫌な私に、友近くんが気がつかないわけがない。
 ただいまだかつてないほどの不機嫌さに、訳を聴きだすのを躊躇しているようだった。何度も話しかけようとしてはやめ、話しかけようとしてはやめを繰り返している。
 その様子は判っていたけれど、あえて聞いてくるまでは何も言うものか、という気分だった。……何しろ、機嫌がよろしくなかったので。
 けれども、何度も何度も口を開こうとしてはやめ、を繰り返しているのを見ることにもだんだんイライラしてきた。
「何!? 言いたいことがあるなら、とっとと言えば? うざい」
 あ、ダメだ。あたっている。最低。
 やっぱり自分から口を開くもんじゃない。
 自己嫌悪で顔つきが妙なことになっている。こんな顔なんて誰にも見せたくない。
 ちらっと友近くんの表情をのぞき見るけれど、いつにないささくれ立った態度に驚いているようだった。無理もない。
「……ごめんなさい、やつあたりです」
 消化不良でむかむかしたままだ。でも今謝ってしまわないと絶対に後悔するのもわかっていた。
 時間が経つと蒸し返すのに躊躇するから。
「いったい何があったんですか?」
 うつむいた私の頭に温かい手がのせられた。
 本当に少しだけだけれど、視界がにじんだ気がした。

***


 ちょっと待っていてください、そう言って走っていった友近くんは本当にすぐに戻ってきて私の手にホットココアを乗せた。温かくてとても甘いそれは、体中に染み入ってきてちょっとだけ冷静になれた。まだまだむかむかして不機嫌なのは変わらないけれど。
「で、何がそんなにあなたを苛立たせているんです?」
 友近くんはいつもと変わらず落ち着いている。
 ありがたいと思いつつ、なんだかそれにもいらいらする。
 どうにも収まりがつかないから、なんでもないことでもいらいらするんだ。
 まあ、そんな分析してもどうなるものでもない。
 そして私は鉛のように重くなった口をしぶしぶ開いた。
「………………デートをドタキャン」
「は?」
 友近くんはきょとんとしている。
「デートをドタキャンされたって言ったの! 久しぶりだったのに〜〜〜!!」
 口に一度出してしまうとさらに怒りが湧き上がってきて声が大きくなった。
「で、でででデートですか!? だだだ誰と!?」
 あれ。慌ててる?
「どもってるわよ、友近くん」
「どうでもいいでしょう、そんなことは」
 その言い方がちょっとむかつく。
「私の相手だってどうでもいいじゃない」
 そういうと少しだけ黙り込んでしまった。何を考えているのかはよく分からないけれど、なんだか複雑そうな顔をしている。
「…………どうせ何らかの報復をするんでしょう。その気の毒なお相手に同情だけでもと」
「かわいくない言い方ね」
「かわいさを求めてるんですか、あなたは」
「違うけど」
「ならいいでしょう」
「いいけどさ。でも報復なんてしないわよ」
「え!?」
 驚いている。
 そう、高校のときもいくらもてていたといってもドタキャンはあった。やつらもさすがにブルジョアジー、急に家の都合で会食なんかに付き合わされることもあったからだ。
 私はそんなとき、これも駆け引きの一つと思って欲しいものを匂わせたり、おごらせたりしていたのだ。その様子を見ていた友近くんは少しうんざりしたような顔をしていた。
 そういうときは絶対に妥協したりしない。
 それが私のポリシーだったし、実際引かなかった。
 でも今回は場合が違う。
「だって特別だもの」
 そう、特別。
 私が会いたい、一緒にいたい人だから。
「特別!?」
 友近くんは本日一番の驚きを見せた。
 そんな反応に私のほうが驚いた。
「な、なによ。そんなに驚かなくてもいいでしょ。お兄ちゃんが特別で何が悪いのよ?」
「…………お兄さんですか…………。というよりもご兄弟がいたんですね」
「あれ、話したことなかったっけ?」
「ありません」
「おかしいなあ。いろんな人に話してる気がしたんだけどなー」
「僕は聞いてませんから」
 いつになく言葉が固かった。
 少しおかしい。らしくない。
 何を思っているのか、目を瞑って大きくゆっくりと息をついた。
「仲はよろしいんですか?」
「いいわよー」
 明らかにハートマークが散るようなノリの声に友近くんが引いているのがわかったけれど止められるものじゃない。なんたって私の兄はすごいのだ!
「ちょっと年が離れてるから私の面倒を見てくれてたのはお兄ちゃんだったし。私の兄だもの、顔はいいし、背も高いし、頭も良くて人当たりもいいから、いい会社入ってエリート街道まっしぐらだし。まさに理想!」
 最近は仕事が忙しくてあまりゆっくり話す時間はなかったけれど、私にとっての優先順位は兄が一番である。
 どんなに前からの約束があったとしても、兄に誘われたらそちらが優先だ。
 だから明日も兄のスケジュールに合わせて先約をぶっちぎっていたのだ。なのにドタキャン……。かなり楽しみにしていただけに悔しすぎる。
 でも兄には怒れないから、それを消化できずにいたのだ。
「若月さん……。そういうブラコンは行き過ぎるとナルシストになりますよ」
「水仙?」
「そうです」
「でも、どっちかというと私は母似でお兄ちゃんは父似だから顔立ちははっきり違うわよ?」
「それでもですよ」
「そうなの? まあいいや。すごく優しくていい人なのよ」
「ベタボメですね」
「でもねー。いい人過ぎて悪い女につかまらないか心配なのよね」
 そうため息をつくと不思議そうに首を傾げる。
「悪い女?」
「ほらいるじゃない。顔目当てとか金目当ての女。お兄ちゃんは人がいいから悪賢いのにコロッと騙されちゃうような気も……」
 自分で言っていてさらにそんな気が膨らんで不安になる。どうしよう、本当にそうなっちゃったら。
 おろおろしている私の様子を見て、友近くんは頭を抱えた。
「大の男に対してそこまで心配するのも何だと思いますけど。それに」
「それに?」
「悪い女云々、それをあなたが言いますか。玉の輿ねらい宣言していたあなたが!!」
 確かに。そんなことはわかっている。
 でも。
「それとこれとは問題が違うのよ!!」


 私は元気になったけれど、今度は友近くんが撃沈した。


〔つづく?〕


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 UpDate.2004.3.12

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